某とかやいひし世すて人の、「この世のほだし もたらぬ身に、たゞ空のなごりのみぞ惜しき。」と言ひしこそ、まことにさも覺えぬべけれ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ボディビルやフィジークのコンテストでは、「美しい身体」というものは一目瞭然です。音楽や絵画、彫刻も同じことで、ひとめ見た瞬間に私たちはそれを美しいかどうか判断します。しかし異性を見て美しいと感じるのは進化の面から説明できますが、音楽や風景に触れて、なぜそれを美しいと感じるのかは、よく分かりません。協和音は美しく、不協和音は耳障りに聞こえ、長調は明るく、短調は哀しく聞こえるのはなぜなのか。キリマンジャロと富士山はどちらも美しいけど、そこには明らかな質的差異があり、それはどのようにして知覚されるのか。以前にあるSNSで、男性と女性の異性に対する好みについて文章を書いたことがあります。女性の好む男性の顔立ちや体型は、かなり狭い範囲に集約されると思われます。それに対して男性の好む女性の顔立ちや体型は、非常にバラつきが多いのではないでしょうか。これも進化の観点から簡単に説明できます。年1回しか妊娠できない女性は少しでも優秀な遺伝子を得る必要がありますが、いくらでも遺伝子をバラ撒ける男性にとっては、優秀かどうかよりもバリエーションのほうが重要となるからです。さて話を戻しましょう。最近も「白金・青黒ドレス」問題が話題となりましたが、人間の知覚というのはいい加減なものです。カントは「判断力批判」の中で「快」や「善」は客観性を持つが、美的判断は趣味判断(主観)であり、根拠となる概念は存在しないと言っています。そして理想となる美は客観性があり、ア・プリオリに合目的的なものであるとし、人間こそがそれに当て嵌まるとしています。となるとボディビルやフィジークは、世界最高の美を決めるコンテストなのかもしれません。しかしカントはこうも言っています。「趣味の事柄に関して裁判官の役目を果たすためには、事物の実在に心を惹かれてはならず、むしろまったく無関心でなければならない」。審査員は、それのできる人間でなければならないということです。とはいえ、実際には難しいことでしょう。そこで以前に行った提言を、ここで繰り返したいと思います。1.バルク点 20点満点2. カット点 15点満点3. バランス点 10点満点4. ポージング点 10点満点このようにバルク(筋肉量)とカット(仕上がり、セパレーション、バスキュラリティなど)、バランス(シンメトリー、プロポーションなど)、ポージングの4点に分割し、それらの合計で順位を決定。それぞれは完全に独立させ、バルクがあるからバランスも高い点数をつけようとか、仕上がっているからポージングも高い点数をつけようということがあってはならない。ポージング点を独立させることにより、一発逆転も起こりうるし、こうやって細分化すれば日焼けによる肌の色に惑わされるようなこともないでしょう。コンテスト主催者のみなさん、いかがですか?